ヒ素と水銀によって200年前に制作されたイタリアのミイラ/人間研究のために作られた人間標本


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「人体の不思議展」で知られるプラスティネーションは、1978年に開発された人間を標本にする技術ですが、200年前にはこれに似た試みがイタリアで行われていたようです。

ジョヴァン・バッティスタ・リニは、医療や学術などを目的として、人間の皮膚を剥いで筋肉や血管をむき出しにした人間標本ミイラを作成していました。今回、この標本を調査したところ、標本制作のためにヒ素や水銀を死体に注入していたことが明らかとなりました。

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ミイラというと古代エジプトを連想しますが、これらのミイラは研究者や医学生のために制作されました。標本には、偽物の歯や髪の毛が付けられ人間らしい見た目が保たれており、他の部分は非常に状態が良いといいます。

これらのミイラは、イタリアの都市ヴェローナ近くにあるデゼンツァーノ病院に保管されており、少なくても5体分が確認されています。

5体のミイラのうち、2体は身元不明の浮浪者のものだといい、残りの3体は医学研究のため地元の病院から寄贈されたものだとみられています。

また、CTスキャンやレントゲン撮影などを行いミイラを詳しく調べた結果、ミイラは水銀などを注入される前に、なんらかの化学物質の入った液体に漬けられていたことが分かりました。

19世紀当時では、死体を保存する一般的な方法としてヒ素、二酸化ケイ素、硫黄などが使用されていましたが、ミイラの制作者ジョヴァン・バッティスタ・リニがどのようにミイラを作ったのかは詳しく分かっていません。ただ、ヒ素と水銀を使用していた可能性が非常に高いといいます。

ジョヴァン・バッティスタ・リニは、1795年~1856年まで生きていたとされており、このミイラの制作は19世紀前半に行われていた可能性が高いといいます。

現在でこそ技術が発達し、人体模型などもありますが、当時の人々にとってはこれらのミイラは非常に貴重な研究材料だったんでしょうね。周りから気味悪がられながらも、ミイラを作成して医学を進歩させたからこそ現在の医療があるんですね。

参照

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