非現実的で美しいエーゲ海とコリンティアコス湾を結ぶコリントス運河写真11点


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世界には、スエズ運河やパナマ運河など交通の拠点として知られるさまざまな運河が存在します。しかし、それらの運河は実用の面から注目されることはあっても、美しさで評価されることはなかなかありません。

今回は、そんな運河のイメージを変えてしまうギリシャにあるコリントス運河をご紹介します。エーゲ海にあるだけあって、美しさは折り紙つきです。

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コリントス運河は、ギリシャの首都アテネの西約80km、ペロポネソス半島の根元に位置するコリントス地峡に開削され、1893年に完成しました。エーゲ海とコリンティアコス湾を結ぶコリントス運河は、閘門を持たない水位が一定の運河で、コリントス地峡の丘を一直線に縦断して掘られています。

全長6343m、運河の幅は水面部で24.6m、河底部で21m、深さは8m、運河の途中に鉄道橋と道路橋があり桁下は52mとなっています。また、丘の高いところでは標高約79mほどもあり、丘の区間では両側に高く切り立った崖がせまる細い水路を船が通過します。鉄道橋があるところでは標高60mのところに開口部に長さ約33mほどの鉄橋がかかっており、大きな船はタグボートに曳航されて水路を通ります。

コリントス地峡に運河を掘る考えは古くからあり、古代ギリシア時代、紀元前7世紀末頃のコリントスの統治者ペリアンドロスの時代から存在していました。その後も、紀元前3世紀ごろ、マケドニア王デメトリウス1世ポリオルケテス、アレキサンダー大王も建設に挫折し、古代ローマ時代にはカエサルやカリグラ帝も関心をもっていましたが実現しませんでした。

暴君として知られるネロ帝の時代になると、実際に大規模な開削が試みられました。67年にネロ帝は6000人の奴隷を動員して運河の開削を行い、3.3kmあまりを掘りましたが、途中、ローマでガルバらの反乱が起こりネロは自殺。彼の死後、帝位についたガルバ帝によって工事は中断されました。

その後、1869年にエジプトでスエズ運河が開通したことで機運が高まり、1869年に運河建設のための法律が整備され、フランスと工事の契約が交わされました。1881年にハンガリーのStefan Tyrrらに事業が引き継がれ、1882年4月に本格的に工事がはじまりました。途中、出資元のフランスの企業が倒産する災難も起こりましたが、ギリシアの会社に引き継がれて工事は継続され、1893年に完成にこぎつけ、同年7月25日に開通式が行われました。

紆余曲折を経て完成したコリントス運河は、現在世界中から観光客を集める地域の観光地となり、同時にシンボルとしても機能しています。

参照

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