この写真は、1951年~1957年の冷戦時代に行われた数百回を超えるアメリカの核実験の様子をとらえたものです。兵士たちは、放射能の大きな影響を受ける至近距離から爆発によって発生したキノコ雲を眺めています。彼らの多くは、原子爆弾による大きな健康上のリスクを知らされることもなく実験を手伝うこととなりました。
この映像は、1951年~1957年にアメリカ・ネバダ州の砂漠で行われた核実験の様子をとらえたものです。アメリカ軍は、数千人の参加者を募って実験を行ったため、参加した軍人や民間人は高レベルの放射能に晒されました。その結果、合計で40万人以上が被爆し、彼らは「アトミック・ベテランズ」とされています。
この実験に参加した兵士の半数は、第二次世界大戦中に日本の広島と長崎に派兵されており、戦争を生き延びた兵士は1962年まで続いた核実験に参加していました。
その結果、兵士たちは高レベルの放射能に晒されたことで、放射線病、吐き気、癌、白血病に苦しめられ、子供たちの多くが奇形児として生まれました。
1957年の実験に参加した当時18歳だった元海兵隊ジェームズ・D・タイラー氏は、上官に命じられたとおり、仲間とともに6フィート(約1.8m)の穴に入り、手で頭を抱えて目を閉じていたといいます。このときの実験では1万4000人が参加し、さまざまな弾頭のテストのため29回の爆発が起こったといいます。
また別の核実験では、建物、食品、衣服、ダミー人形などを設置して、人間に対する原子爆弾の影響もテストされていました。そして、被爆した食料を兵士たちに食べさせて、医学的なデータを収集していたといいます。
原子爆弾に関する研究のため、アメリカ人兵士たちもモルモットのように利用されていたようです。この時代は、冷戦が始まったため核爆弾研究が急務だったんでしょうね。何も知らないながらに、核爆発の爆風を平然と浴びながら被爆地を歩き回る姿は衝撃的でした。